大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所豊岡支部 昭和43年(ワ)65号 判決

原告

大北正直

ほか四名

被告

有限会社関西食品

ほか一名

主文

被告両名は各自

原告正直に対し金二、三六七、五一六円

原告正孝に対し金三、一〇二、五一六円

原告正浩に対し金三、一〇二、五一六円

原告潔に対し金五〇〇、〇〇〇円

原告まつゑに対し金五〇〇、〇〇〇円

および右各金員につき昭和四三年八月二五日以降それぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告正直、同正孝、同正浩らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを七分し、その五を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決は、主文一項につき仮に執行することができる。ただし、被告らにおいて原告正直、同正孝、同正浩に対し各金五〇万円、その余の原告に対し各金一〇万円の担保を供するときは、各原告らの右仮執行を免れることができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告両名は各自原告正直に対し金三〇〇万円、原告正孝、同正浩に対し各金三五〇万円、原告潔、同まつゑに対し各金五〇万円およびこれに対する昭和四三年八月二五日以降それぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、被告川辺博美は、昭和四二年八月一七日午前六時三〇分ごろ普通貨物自動車(姫路四ね四六一〇号、以下加害車という)を運転して豊岡市豊田一九番地先道路上を北進中、右前方道路端に駐車していた貨物自動車(姫路一さ八〇〇号)に衝突し、さらにその反動で対向していた訴外西浦登美子運転の第二種原動機付自転車に衝突し、同女に対し頭蓋骨々折脳挫傷の傷害を与え、その後二時間四〇分して同女を死亡さすに至つた。

二、右事故は、被告川辺が加害車を運転するに際し、道路の左側を通行し絶えず前方を注視し、障害物があれば停止するなり進路を変えるなどして衝突をさけ未然に事故発生を防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り漫然と運転進行したため発生したものであり、同被告の一方的過失に起因するものであるから同被告は民法七〇九条によりその損害を賠償すべきであるし、また、右加害車は被告会社の所有であり、同会社が右川辺を雇用して会社の業務のため運行の用に供していたものであるから、被告会社は民法七一五条自賠法三条にもとづき同じくその損害を賠償すべきものである。

三、右事故により原告らの蒙つた損害は次のとおりである。

(一)  財産的損害(被害者西浦登美子の逸失利益)

本件事故の被害者西浦登美子が逸失した利益は農業収入と洋裁収入である。すなわち同女は原告らの家庭(以下西浦家という)の主婦であつたが、西浦家の生業である農業の中心的立場にあつたものである。これを西浦家の家計簿を中心にして同女が西浦家に寄与していた農業所得をみると、西浦家の一年間の農業粗収益(家計簿に記入された農業収入、農業協同組合に出荷した米代金、自家保有米の代金相当額、家計仕向農産物の代金相当額)の合計金一、一一九、〇六六円から同じく農業経営費(種苗代、肥料代、薬剤費、資材費)の合計金一二八、八四四円を控除した金九九〇、二二二円のうち、最低に見積つてもその七〇%にあたる金六九三、一五五円が年間同女の寄与していた農業所得となる。そのほか同女は農業の傍洋裁により年間平均して金一五万円の収入を得ていたので、結局西浦家としては同女の死亡により右合計金八四三、一五五円の収入を失う結果となつた。いまこれを同女の逸失利益として計算してみると、右金八四三、一五五円から同じく西浦家の年間の生活費金七四二、三一四円のうち五分の一に当る同女の生活資金一四八、四六三円を差引いた金六九四、六九二円が同女の一年間に逸失した利益となる。これを就労可能年数三〇年とみてホフマン式係数一八、〇二九を乗ずると、現在請求し得る金額は一二、五二四、六一〇円となる。これを当時同女の夫であつた原告正直、その長男である原告正孝、次男である原告正浩らの各相続分にしたがい計算すると、右原告ら三名の取得分は各その三分の一に当る金四、一四一、五三六円となる。

(二)  慰藉料

被害者西浦登美子は家庭の主婦とはいえ、西浦家の大黒柱的存在であつて同女の死亡により原告らの蒙つた打撃は極めて大きい。同女の死亡により夫である原告正直はその養親である原告潔、同まつゑ夫婦との養子縁組を解消(離縁)して実子とも別れて実家に帰らざるを得なくなつたし、また、その子原告正孝同正浩らは年若くして母親を失い、かつその父親とも別れて生活する破目に落入り、その両親である原告潔、同まつゑは最愛の娘を失い老令の身をもつて直接孫の養育をなしながら、その成長に至るまで苦悩の日々を送らねばならなくなる等、原告ら一家の平和は完全に破壊されてしまつた。これら原告に対する慰藉としてはとうてい金員をもつて償い難いものがあるが、すくなくとも、原告正直、同正孝、同正浩には各金一〇〇万円、原告潔、同まつゑ夫婦には各金五〇万円以下を下るものではない。

(三)  以上各原告らの蒙つた損害は、慰藉料を含めると原告正直、同正孝、同正浩らは各金五、一四一、五三六円、原告潔、同まつゑは各金五〇〇、〇〇〇円となるが、すでに原告らにおいて受領した強制賠償保険金三〇〇万円は、右原告正直、同正孝、同正浩ら三名の損害に対し各金一〇〇万円づつ充当し、また別に被告会社から受領した金五〇万円については、そのうち金六五、〇〇〇円は本件事故によるオートバイの物損費に、残金四三五、〇〇〇円は原告正直の前記損害にそれぞれ内入充当したので、結局、原告正直は金三、七〇六、五三六円、同正孝、同正浩は各金四、一四一、五三六円、原告潔、同まつゑは各金五〇〇、〇〇〇円の損害を蒙つたことになる。そこで各原告らはそのうち請求の趣旨記載の各金員とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四三年八月二五日以降民法所定年五分の割合による損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

と述べ、被告らの答弁に対し

一、西浦家の耕作面積は田九五アール(九反五畝)、畑五三アール(五反三畝)であり、いわゆる中農の上に位し、その収入高は概算してみても昭和四二年度一〇〇万円、同四一年度約九〇万円、同四〇年度約八五万円、同三九年度九〇万円となつていて過去四年間の平均をみてみても約九〇万円強となつている。これらは西浦家の記帳した家計簿より算出しても、また農業関係機関の統計資料に照らしてもなんらの不合理もない数額である。

二、西浦家の家族構成が被告ら主張の人員であることは争わないが、夫正直はいわゆる「婿養子」であり、かつ市役所勤務をしていたこともあつて結婚以来農作業には全く見向もしなかつたし、また父親潔は傷痍軍人(身体障害者)であり、母親まつゑも高年令であつてこれら両名の農業経営に対する寄与率はせいぜい二〇%程度である。それのみか漸次年と共に下降すること明らかである。これらの家族構成からみると亡登美子の寄与率は事故当時でも六〇%を下るものでない。その後父親が六五歳に達するころ(約七年後)には八〇%前後となり、さらに母親が六五歳に達するころ(約一〇年後)にはほぼ一〇〇%に達するものと考えられ、その後一〇年間は同じ状態が続くものと思われる。以後一〇年間は年令とともに寄与率の減少することは考えられるが、以上三〇年間を通算平均すると最低に見積つても七〇%以上であると考えるべきである。

三、原告らが受領した金五〇万円については、そのうち金六五、〇〇〇円は本件事故により破損したオートバイの損害賠償として支払を受ける旨の合意があつたものであるから、本件損害金より控除するのは残金四三五、〇〇〇円のみである。右金員および保険金は本訴請求金額から控除すべきものでなく、全損害額から控除するのがことの本質に照らし当然である。しかしてこれらを差引計算してもなお残額は金一二、二八三、八五〇円となり、本訴請求は右残額の範囲内であり正当である。

と述べた。〔証拠関係略〕

被告ら訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求め、答弁として、

一、請求原因事実中一、二記載の事実は認める。同三記載の損害額は不知、原告らが自賠責保険金三〇〇万円を受領したこと、被告会社が金五〇万円を支払したことは認める。しかし、右金員はいずれも本件の損害額から差引くべきものではなく、本訴請求金額から控除すべきものである。したがつて原告らの請求金額はすべて争う。

二、すなわち、(一)、農業収入の場合は、その耕作者が死亡したとしても、その収入のもとでである土地が残るのであるから、この収益性を無視して収入全部が全く失われると考えるのは相当でない。すくなくとも純収益の一割程度は資本による収益として控除すべきものである。(二)、原告らは昭和四二年度の農業経営費が金一二八、八四四円であるというが、その根拠となる西浦家の家計簿にはこの点のすべての支出が記載されているわけでないこと原告らの認めるところであるから、家計簿を根拠にして右係数を主張するのは合理的でないし、また、亡登美子の生活費が原告ら家庭の家計費の五分の一というのは、同女の家庭における立場からみると僅少にすぎ、すくなくとも三分の一と考えるのが相当である。(三)、亡登美子の逸失利益の計算において、西浦家の農業収入の大部分は同女の収入であるとしているが、西浦家には登美子のほか当時市役所に勤務していたが夫正直がいただけでなく、父潔五八歳、母まつゑ五六歳という労働力があつて、これら家族全体でその収益を得ていたのであるから、すくなくとも登美子の右収益に対する寄与率は多くみても四割程度と考えるのが適当である。(四)また亡登美子の就労可能年数を今後三〇年として、しかも死亡当時と同収益を得るものとしてその損害を計算しているが、農業はそれ自体重労働であり、特にその従事者が女性であることを考えると、死亡当時の労働力を保てるのはせいぜい五五歳までであり、その後は収益率は半減するものであるし、同様農業のかたわら洋裁収入を得ることができるのも五五歳ごろまでと考えるべきである。(五)、しかも右洋裁収入にしてみても家計簿に収入として計上されているのはごくわずかであり、亡登美子が受註していたのは主に学生服の仕立であつてそのほとんどは新学期に限られ、一着金二、五〇〇円程度のものであるから、主張のように金一五万円という多額であるとはとうてい考えられない。(六)、なお慰藉料の算定については、被告らはいずれも自己の過失を全面的に認め、葬式にはもちろん、ことあるごとに原告方を訪れ謝罪し、また香典その他の見舞金を送り、示談についても一〇回をこえる交渉を持ち誠意ある金額を提示していたこと、原告正直は登美子死亡後一年を経ずして自らの発意にもとづき離縁して新家庭を持つたものであること等の事情は充分これを斟酌されるべきである。

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

原告ら主張の請求原因事実中、一、二に記載の事実、すなわち本件事故発生の事実および該事故が被告川辺の一方的過失に起因するものである点を含め、被告らに損害賠償義務のあることは当事者間に争いがない。

そこで原告ら主張の損害額について検討するが、原告らはまず慰藉料、ついで亡西浦登美子の逸失利益の順に損害を求めるというので右順序にしたがい判断する。

一、いずれも当事者間に争いのないところの、被害者登美子は法令にしたがい幅員一〇・三メートルの県道の左側を通行していたのに、被告川辺が前方注視を怠り減速徐行もしないまま急転把する等して自らの進路を飛出し、被害者の進路側に駐車していた自動車に激突しスリップしたうえ、さらに被害者に激突する等してきたため、登美子が即死に近い状態で死亡したものであること、右事故については被害者にはなんらの過失もなかつたこと等の同女の受傷死亡の経過および後記認定のように被害者登美子は当時三三歳の農家の主婦であつたが、人並すぐれた健康体であり、しかも性格が明朗で高校時代よりソフトボール部に属し、その後も青年団員あるいは育友会員として地域社会で活躍し、近隣者や市民から農家の主婦としての尊敬と期待が寄せられていたこと、その家庭にあつては西浦家の大黒柱として家庭生活はもちろん家業の農業に専念するかたわら洋裁の内職をなす等名実ともに一家の中心的な存在であつたこと、原告正直は自らは市役所吏員であつたが、一瞬にして最愛の妻を失い、同時に原告潔、同まつゑらとの養子縁組を解消せざるを得なくなり、実子両名とも別れて暮す等人生の方向に重大な転換を余儀なくされたとはいえ、ただ右離縁については自らの希望するところであつたこと、原告正孝、同正浩らはいずれも幼少にして母を失いその父とも別れ、今後人生において数々の不幸を耐えしのばざるを得なくなつたこと、原告潔、同まつゑはいずれも老令に達し最愛の娘を失い、その婿養子正直とも離縁を余儀なくされ、孫たちが成人に達するまで今後自己の身体の安否を心配しながらその養育に当らねばならなくなつたこと等、その他本件記録にあらわれた原告らの各年令境遇家庭事情を彼此斟酌し、被告らの示談に関する誠意を考慮してみても、各原告らに対し被告らの賠償すべき慰藉料は、原告正直に対しては金七〇万円、原告正孝、同正浩には各金一〇〇万円、原告潔、同まつゑには各金五〇万円と認定するのが相当である。

二、亡登美子の逸失利益について

(一)  まず主張にかかる農業所得について検討するに、一般的にいつて、農業従事者の逸失利益を算出することは農業経営が被害者本人だけの個別労働によるものではなく、そのほとんどが全家族の総合労働力に依存し、しかも生産手段である土地は事故者が労働に従事しえなくなつても直ちにその生産力に顕著な差異があらわれない等その明確な分離ができないため、個別的にその実態を把握することはきわめて困難である。このことから逸失利益の算定については農業関係機関の発行する各種の統計資料を基礎とするのが科学的合理的であると思われるが、本件では後記認定のようにたまたま原告らの属する西浦家では年々家計簿(甲第八号証)を記入しているので同帳簿を仔細に分析検討し、これを基礎にし合せて各種統計とを対比してその所得を算出することにする。すなわち〔証拠略〕を総合検討すると、原告らの西浦家では会計帳簿としては完全なものとはいえないが、毎年母親であるまつゑが中心となり、主として一家における現金の出入に限りその年の農業収入はもちろんその他の収入一切および支出を毎日暦日を追つて収支別に項目をあげてそれぞれ金額を記入し、毎月末これを集計し年末には項目別に整理していたことが認められるので同帳簿の記載を検討して農業所得を把握するのがより個別的具体的であり妥当なものと考えられる。しかして右算出にあたつては、まず右帳簿に計上された農業収益と思われる項目を抽出合計し、これに記入もれの収益(農業協同組合に出荷された米代金、自家保有米の代金相当額、家計仕向農産物の代金相当額)を加えて農業粗収益を算出し、これより同じく家計簿に記入された農業経営費(種苗代、肥料代、薬剤費、資材費等)を控除して西浦家一家の農業所得を算定し、さらにこれに対する登美子の寄与率を認定してこれを乗じた額を算出しこれを登美子の農業所得としたうえ、同様右家計簿より西浦家一家の生計費を算出して登美子自身の生活費を算定もし、右登美子の所得から控除する方法によるのが適切であると思料されるので以下右順序にしたがい順次説明を加えることとする。

(1)  農業粗収益について

(イ) 前示真正に成立したと認められ、その事故年度である昭和四二年度の家計簿(甲第八号証)を検討分析すると、同年度における西浦家の農業収入の明細は別表(一)のとおりで総額金六七三、三三六円である。

(ロ) 右家計簿に記入されていない農業収入をみると、(a)昭和四二年度に農業協同組合に出荷した米(供出米)三八俵の代金二四四、四五〇円、右代金は甲第一四号証昭和四二年度産米政府売渡に関する証明書により明らかであり、直接農協の預金口座に振り込まれたものである。(b)自家保有米の代金相当額金一五一、二八〇円、右は西浦家の昭和四二年度における米の総収穫量を後記認定事情から二五石九斗六升三合とみて、右農協への出荷分一五石二斗を差引いた一〇石七斗六升三合より前示家計簿に自家販売米として計上された一石三斗五升五合(別表(一)の米代金二一、八〇〇円を石当りの米代金一六、〇八〇円で算出したもの)を差引計算した九石四斗〇升八合に前示農協への出荷米石当り金一六、〇八〇円を乗じた額である。すなわち、前掲証人や原告本人尋問の結果を総合すると、西浦家のある豊岡市中筋はいわゆる穀倉地帯といわれる地区であるが、仮に豊岡市の昭和四二年度における平均収穫量を示している「昭和四二年分農業所得標準の公開について」と題する兵庫県農業会議および兵庫県農業協同組合中央会の昭和四三年二月八日付文書(甲第七号証)によると、同年度の反当収穫量は四一〇キログラムで、これを石に換算すれば二石七斗三升三合となるので、右を基礎にして西浦家の水田耕作面積九反五畝(甲第一二号証)の総収穫高を算出すると合計二五石九斗六升三合となる。(なお前示自己保有米九石四斗〇升八合は西浦家の食用としてはやや多き感がないではないが、農家では冠婚葬祭用、贈答用、持越米、種子用等に充当するのが通例であることが認められるのでかならずしも多いものとはいえない)、(c)家計仕向農産物の代金相当額約五〇、〇〇〇円、右は西浦家の農業生産よりみてその生産物(蔬菜類、果樹〈ぶどう、なし、いちご等〉卵、雑穀、薪炭等)を自家消費にあてた金額である。すなわち現金の出入をともなわず家計簿に記入されないもので、前掲家計簿や原告ら本人尋問の結果より推認したものであるが、六人家族で年間五万円とみれば一人一日当り金二三円弱であつて農家の生活状況よりみて経験則上多額とは考えられない。

以上を合計すると、昭和四二年度の農業粗収益は年間金一、一一九、〇六六円となるが、右金額は農林省兵庫統計調査事務所豊岡出張所発行の同地方の昭和四一年度の農家経済調査結果報告書(甲第四号証)、同統計事務所和田山出張所作成の昭和四一年度の農家経済の経営耕地規模別平均(一戸当り)実数表(甲第六号証)の各係数に照らしても近似値を示すもので妥当である。なお被告らは右農業粗収益の算定にあたつては、農業所得の性質上投下資本(土地)の生む所得は労働外の収益として控除すべきであるというが、資本もこれに投下される労働により収益を生むものであり、これを他に賃貸等していない本件の場合はこれを無視しても妥当を欠くとも考えられないので、本件では粗収益の算定面でも、また実質的な所得面でも考慮しないことにする。

(2)  農業経営費について

右に関する経費として支出されたものはすべて前掲家計簿に記入されていて別表(二)のとおりであり合計金一二八、八四四円となる。すなわち種苗代金一〇、三二四円、肥料代金六七、六九二円、薬剤費金一〇、四三〇円、資材費金一二一、一九五円であるが、資材費はその性質上最低三年程度の耐用年数があると認められるのでこれを三分の一とみて金四〇、三九八円とみた。

以上(1)の農業粗収益金一、一一九、〇六六円から右農業経営費を控除すると、結局農業所得は金九九〇、二二二円となる。

(二)  亡登美子の洋裁収入について、

右は松原産業株式会社の仕立代金支払証明書(甲第一三号証)と原告ら本人尋問の結果を総合して金一五万円と認めたものである。もつとも右洋裁収入については前掲家計簿には合計金三〇、八〇〇円収入されたとあるのみであるが、家計簿の記帳者が母親まつゑであり同人に現金が交付されたものに限つて記帳されたものであることが認められるので右認定の妨げにならない。

(三)  亡登美子の生活費について、

前掲家計簿に記入された西浦家の生活費(家計費)はこれを計算すると別表(三)のとおり合計金一、一三六、四七五円である。ところで原告ら本人尋問の結果に照らすと、(2)衣料費のうち金一四七、八〇〇円(八月支出の内金六六、八〇〇円と九月支出の内金八一、〇〇〇円の合計額)はその品目をみても明らかなように末娘の婚礼用の衣裳代としての特別支出であり、(b)住居費のうち金一〇〇、三六八円(一一月支出)は屋根の葺替代金であつて、これは一〇年に一度ぐらい臨時的に支出されるものであるから、一年分の支出としてはその一〇分の九にあたる金九〇、三三二円を控除すべきものであり、(c)その他の支出金四三七、三八四円は、登美子死亡に伴う葬式、仏事、香典返し等金二一八、八五〇円、娘の出産祝、七五三祝、姑還暦祝等金九一、三〇〇円、電話取付料負担金三二、五〇〇円、娘の小遺贈与金二〇、〇〇〇円、旅行慰安費等金七四、七三四円であり、いずれも臨時的な特別支出であるから、通常の生活費としては除外すべきものである。(d)貯金四〇、一二五円も性質上全額控除すべきものである。以上の控除額合計金七一五、六四一円を家計簿上の家計支出合計金一、一三六、四七五円から差引くと金四二〇、八三四円が家計簿上の西浦家の生活費である。これに前示家計簿に記入されない自家保有米の代金相当額金一五一、二八〇円および家計仕向農産物の代金相当額金五〇、〇〇〇円ならびに登美子の洋裁収入金一五万円のうち家計簿に繰入れられなかつた金一一九、二〇〇円は、いずれもなんらかの形で西浦家の生活費に費消されたものと考えられるのでこれらを合算すると金七四一、三一四円となる。これが西浦家六人の生活費であるとすると、子供の教育費も生活費に計上していること等を斟酌考察すれば登美子の年間の生活費はその五分の一程度約金一四八、二六二円と認められる。

(四)  登美子の農業経営に対する寄与率について

〔証拠略〕を総合すると、亡登美子はまれにみる身心とも健康体の持主であり、その夫が婿入りしてきた者であることも手伝い西浦家の実質上の主として、農業機械の操作はもちろん農業技術等にも熟練しその経営の中心的存在として活動していたこと、登美子の夫正直は婿養子であつて、しかも豊岡市役所に勤務していたことからほとんど農業経営には関与していなかつたこと、父親潔は農業従事者としては必ずしも老令とはいえないけれども左足骨折貫通銃創の身体障害を有する傷痍軍人(恩給法第六項症無期)であつて、その脚力も充分でなく(甲第一七号証)農業経営への参加は相応年令以下であり登美子の補助者的立場にあつたものと認められるだけでなく、加えて部落の名誉的な役職(無報酬)についていたことから充分その労働に従事できなかつたこと、母親まつゑは通常人より健康がすぐれず、かつ農業に従事する女性としては老年期に入つていたこともあつて直接農作業に従事することが困難であつたこと、子供である原告ら二名は未だ幼少(当時一〇歳と六歳)であり将来も農業労働に従事する見通しは極めて低いこと等の事実が認められる。これらの事実を総合検討すると、登美子の死亡した年令が三三歳であり、かつ農業経営が家団としての総合的労働によるものであることを考慮しても、同女の就労可能年数は今後三〇年間にわたること原告主張のとおりであると認めるのが相当であるが、今後年とともに同女の一家における労働に対する負担量が上昇することは容易に考えられるけれども、その収益に対する寄与率は一時上昇することはあつても年令をとるにしたがい下降の一途をたどるものと考えられ、結局登美子の寄与率はこれを平均的にみると今後一〇年間は六〇%、その後一〇年間は五〇%、最後の一〇年間は四〇%と認めるのが相当である。これを前示西浦家の年間農業所得金九九〇、二二二円に乗ずると、六〇%の場合金五九四、一三三円、五〇%の場合金四九五、一一一円、四〇%の場合金三九六、〇八八円となる。

(五)  以上説示のとおり、亡登美子の就労可能年数を三〇年間とみて、右一〇年毎にその寄与率をもつて算出した農業所得に前示洋裁収入(金一五〇、〇〇〇円)を加え、これより前示同女の生活費(金一四八、二六二円)を控除し、それぞれホフマン式係数を乗じ計算すると、

60% 594,133円(農業所得)+150,000円(洋裁収入)-148,262円(生活費)=595,871円

50% 495,111円(農業所得)+150,000円(洋裁収入)-148,262円(生活費)=496,849円

40% 396,088円(農業所得)+150,000円(洋裁収入)-148,262円(生活費)=397,826円

60% 595,871円×7.9449(ホフマン係数)=4,734,135円

50% 496,849円×5.6712(ホフマン係数)=2,817,730円

40% 397,826円×4.4132(ホフマン係数)=1,755,685円}合計9,307,550円

となり、これを原告正直、同正孝、同正浩が各三分の一づつ相続により取得したものとして計算すると各金三、一〇二、五一六円となる。これに前示認定の各原告らに対する慰藉料を加えると、各原告らの損害は次のとおりとなる。

原告大北正直は、金三、八〇二、五一六円

原告西浦正孝は金四、一〇二、五一六円

原告西浦正浩は金四、一〇二、五一六円

原告西浦潔は金五〇〇、〇〇〇円

原告西浦まつゑは金五〇〇、〇〇〇円

三、結論

しかして、本件事故に関し原告正直、同正孝、同正浩ら三名が強制賠償保険金として金三〇〇万円を受領し、また原告正直は被告会社から金五〇万円を受取りそのうち金四三五、〇〇〇円(差額金六五、〇〇〇円は被害オートバイの損料に充当する旨の合意のあつたこと、被告会社代表者白井義一ならびに原告ら本人尋問の結果により明らかであるからこれを除外する)をそれぞれ前記損害に充当したことが当事者間に争いがないから、右保険金についてはその相続分に応じ、また右金四三五、〇〇〇円については原告正直の損害に充当したものとして差引計算すると、結局原告らが本訴で請求し得る金額は、

原告正直は、金二、三六七、五一六円

原告正孝、同正浩は各金三、一〇二、五一六円

原告潔、同まつゑは各金五〇〇、〇〇〇円

である。

そうすると、被告らは右各原告らに対し、右金員およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四三年八月二五日から支払ずみまで民事法所定年五分の割合による損害金を支払うべき義務があり、原告らの本訴各請求は、原告潔、同まつゑについては全部につき、原告正直、同正孝、同正浩については右の限度において、それぞれ理由があり正当であるからこれを認容するが、右原告ら三名のその余の請求はこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 西村清治)

別表(一) 家計簿(甲第八号証)に記入された収入の項目別分類表

〈省略〉

別表(二) 家計簿(甲第八号証)に記入された支出の項目別分類表

〈省略〉

別表(三) 家計支出の項目別分類表

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例